守谷沼・守谷城址跡
かつての守谷沼は満々と水を湛え、川獺(カワウソ)が生息していたと言われています。
川獺は、イタチ科の獣で、四足に水かきがあり、川に住み、魚を捕ります。近くには平将門が鬼門除けよして祀ったと言われる弁天様があり、川獺弁天と名付けられています。
昭和43年(1968)に守谷沼圃場整備事業が完成しました。今は、魚釣りの人々で賑わっています。
また、守谷沼は、守谷城址・北園森林公園と周辺の田園風景と共に守谷30景選ばれています。

守谷城は平将門の城ではなく、13世紀当初に相馬氏が築き、以後江戸初期の17世紀まで約400年間使用されたと推定されます
北側の赤法花、同地の丘陵を隔てている水田は、かつては大きな沼で守谷城の北側を守る天然の要害でした
城址は谷津田側から見て3つの丘に見えますが
左(南)がら2郭、本郭、3郭と呼ばれ、土塁や船着場と言われる堀が残されている
(守谷自然誌より)
守谷沼より北西の方角につくばエキスプレスの高架を望める

守谷城址は、守谷小学校の北方にあります。
城の規模は本郭から6郭まであり、東北面が沼に囲まれた壮大な名城であったと思われます。
現在は、本郭・2郭と先端の妙見郭が残っています。
将門が京都から帰郷して館を造り拠点としたという伝承があります。
寿永3年(1184)、相馬師常が初代城主となり築城し(約360年間)栄え、更に徳川家の配下として100年間栄えました。
 元禄元年(1688)城主不在となり、廃城となりました。(守谷のふるさとかるたより)