一里塚(小貝川)
一里塚は、昔旅人が運賃を決めたり、休憩したりなど、便利のために作られました。
道路の脇に一里(約4キロ)ごとに土で塚を作り、その上に榎や松を植えたようです。
江戸時代に東京から笠間市までの道路を笠間街道と呼びました。
笠間の殿様が参勤交代のとき、行列を作って通ったと伝えられています。
明治になってから、道路は広げられたり変更したために壊され、現在残っているのは極めて少ないので、
市では赤坊花の一里塚を文化財として指定しています。(守谷のふるさとかるたより))

小貝川の水源は、栃木県那須町大赤根に小貝が池
小貝川は過去何度も氾濫を起こし、流域に大きな損害をもたらした
藤代町の小貝川右岸には防災ステーションが建設された

わが国の河川は、河川法により管理されているが
その河川法も時代とともにその目的地するところが変化してきている
明治29年(1896)に旧河川法が制定されたときは、治水が目的であったが
昭和39年(1964)には利水という目的が加わり
平成9年(1997)の改正においては環境という目的が追加された
時代とともに、当初は洪水等水害から守るために河川法が制定されたが
河川の水の有効活用のために制定され、その後河川流域の環境保護を目的とする改正がなされたということです

国土交通省関東地方整備局では、鬼怒川・小貝川の
雨量・水位・流量・水質について毎年観測を実施している
鬼怒川上流はダムが多く、安定した水量が確保されているが
小貝川は山地が少ないため、各堰で水量の確保がなされているが
異常気象等で雨量が極端に少なくなると、特に田植え時期には、霞ヶ浦の水を緊急放水して急場をしのぐ処置がなされる