谷和原村 福岡堰

茨城観光百選
桜の名所としても知られている
遠景に筑波山を眺望
周辺には散策路や多目的広場がある

福岡堰土地改良区の管内約5千ヘクタールは、ムカシは谷原領といわれ、鬼怒川や小貝川が一緒になって流れる
葦の茂る沼沢の地であった
福岡堰の成り立ちは、この地の新田開発に端を発する
そして、この谷原領の干拓という偉業を成し遂げたのが、徳川時代初期の関東郡代、伊奈半十郎忠治である
この干拓事業に先ず着手したのが鬼怒川と小貝川の分流工事であった
参照:鬼怒川一里塚

福岡堰は享保7年(1727)に設けられ、その後明治19年(1886)に、小貝川締切土提を廃して木造堰枠を創設
大正10年(1921)に鉄筋コンクリート造りの十連の鉄扉を開閉する堰として、関東三台堰の一つとされた
昭和40年(1965)新堰着工、昭和46年完成の今の姿となった
可動堰・固定席・管理橋からなる(鬼怒川・小貝側 水と暮らしより)